米国の月刊「ザ・ブリッジ・ワールド」誌は毎号に「五十年前
(Fifty years ago)」と題したコラムを掲載しています。
半ページほどですが、50年前の同月号から話題をひろって紹介
する記事です。
2019年7月号は1969年7月号からの引用です。
世界選手権(バミューダ・ボゥル)に於いて米国チームが決勝に
すら残れなかった理由を監督のカプラン(Edgar Kaplan)が分析
しています。
ちなみに1969年のバミューダ・ボゥルはリオデジャネイロで
開催され、参加はブラジル、台湾、フランス、イタリア、米国
のたった5ヶ国(5チーム)。
フランスのデサルー(Gerald Desrousseaux)やスバーク(Henri
Svarc)、イタリアはいつものベラドンナ(Giorgio Belladonna)、
ガロッツォ(Benito Garozzo)、フォルケ(Pietro Forquet)。
いまだ現役の台湾のファンさん(Patrick Huang)、ブラジルの
シャガス(Gabriel Chagas)とブランコ(Marcelo C. Branco)、
米国のアイゼンバーグ(Billy Eisenberg)やカンター(Edwin
Kantar)。ステイマン・コンベンションを発案したラピー
(George Rapee)などの名プレイヤーが揃います。
バミューダ・ボゥルの参加国数は徐々に拡大され、1983年大会
では10ヶ国、1991年の横浜大会では16ヶ国、2003年大会には
22ヶ国。今年(2019年)の中国・武漢大会から24ヶ国(24チーム)
になります。
台湾チームは、ウェイ(C.C.Wei)の発案したビディングシステム
「プレシジョン・クラブ」をひっさげ、この1969年大会と翌
1970年のストックホルム大会を準優勝して世界を驚かせました。
ちなみに1969年7月号の記事では台湾チームは“CHINA”と紹介
されています。昨今の競技大会では政治的配慮により「台湾」
は“CHINESE TAIPEI”と表記されますから、国際情勢の変化を
感じます。
ハンドの話に戻って。
以下はゴールドマン(Bobby Goldman)のプレーした6

です。
1969年 バミューダ・ボゥル予選 米国対ブラジル

ディーラーSouth、双方バル

W | N | E | S | |
| | | 1 | P | 1NT | P | 3 | P | 3 | P | 4 | P | 5 | DBL | ReDBL | P | 6 | All | Pass | | | |
|
N:Eisenberg(米国)
S:Goldman(米国)
E:Branco(ブラジル)
W:Porto D'Ave(ブラジル)
Northの5

コントロールキュービッドに、Eastがリードショー
イング・ダブルをかけて、コントラクトの6

にオープニング
リードは

10。
ディクレアラーは

Kを勝ち、長考ののち手元からスモール

を
出しました。Westには5枚

があり、ビッド経過からディクレア
ラーの5枚

が判っているので

を取り、

をパートナーにラフ
させて直ちにワン・ダウン。反対テーブルはSouthの3NTが4メイ
クで、12 IMPの得失点になりました。
この6

のプレーをカプランが斬ります。

をダックするのは様々な理由から優れたプレーだが、その前に
手元のトップ

を1つ取ってみたらどうか。すると左手から

10
が出て来る。この「

10」がフォルス(false)・カードでは無い
と判断するなら、続けて

Qを取り、左手の

Jを拾いあげる。
ダミーの

を手元の

4でラフ、

Jでダミーに渡り、

を

Kで
ラフ。

Aでダミーに渡り、

9で切り札を狩り上げて6メイク。
「見たような」プレーですが、1回だけ狩っても悪くなかろうと…。
このディールの

スーツを見て、自分の失敗した7

を思い出し
ました。もう1回だけ狩っても悪くなかろうと…。
切り札を1回狩っておけば(2) に続きます。