6NTは2人足して33点(ハイカード・ポイント)。
言わずと知れた「目安」です。
33点なら、エースが2枚抜けることは無いでしょう。
ところが特定スーツのエース・キングが抜けることなら有りえる。
オープニングリードにそのスーツを出されると、
立て続けに2トリックを失う。
それなら「33点」というのは間違っているのではないか、
と。思いませんでしたか?
次のハンド。
オープニングリードに何を出しますか?
米国「ブリッジワールド」誌2014年1月号
IMP戦、双方バル
W | N | E | S | |
| | | 1 | P | 1 | P | 2NT | P | 6NT | All | Pass | | | |
|
ビッド経過から考えてパートナーは限りなく0点に近い。
従ってスモール
のリードはジャック(か
9)に取られます。
Qを出して、ダミーに「K10x」などあると目も当てられない。
のスモールを出して、ディクレアラーの「10」に取られるのも。
スーツは、ダミーとディクレアラーの側に「AKQJ」が
あるだろうから。
リードだけは損が無いだろうと。
パネル回答者の選択は:
が10人、
Qが6人、
Jが2人、
Jが2人、
が2人でした。
次のディールは“The Complete Book of Opening Leads”から。
著者は「ブラックウッド・コンベンション」の発案者である
イーズリー・ブラックウッド(Easely Blackwood)。
初版は1983年、本人が80歳のとき。
500頁弱もあるので編集者がいたものと推察されます。
1969年世界選手権 台湾対米国
W | N | E | S | |
| | | 2NT | P | 3 | P | 3 | P | 4NT | P | 5 | P | 6NT | All | Pass | | | |
|
N: Frank Huang(台北)
S: C.S.Shen(台北)
E: B.Eisenberg(米国)
W: B.Goldman(米国)
本には書いてありませんが、時代を考えると2NTは22〜24点。
3
はステイマン、3
は4枚、4NTはインビテーションでしょうが、
5
はエースの枚数を答えて6NTに突入したようです。
Westのボビー・ゴールドマンは8点も持っているので、
からリード。
ダミーが勝ち、続けて
のフィネスが抜けて、ほどなく2ダウン。
なお反対テーブルではSouthでカンター(Edwin Kantar)が
Northのハマン(Bob Hamman)と組んで3NTをコントラクト。
リードで6メイクでした。
また、本には書いてありませんが、このディール、実は
リードなら
メイク可能です。先ずは
Aを叩いて、
10が落ちたら、ぜんぜん
トリックが足りないので
Q10ダブルトンを叩くのはほぼ必然。
そののちは
と
を取って、左手は
3枚と
1枚を捨てます。
のフィネスをするとダウン、
の3巡目でスローイン(throw-in)
するとメイクします。
記事
フォレスターのパスにも少し書きましたが、
この年の世界選手権はブラジル(リオデジャネイロ)で開催され、
イタリアが優勝、台湾が準優勝。3位は米国、4位はフランス。
台湾チームの監督(Non Playing Captain)はウェイ(C.C.Wei)でした。
ところでブラックウッド・コンベンション(4NT)はステイマンとともに
世界で最も使われているコンベンションです。
ところがブラックウッド自身がこのコンベンションを米国で出版した
「ブリッジ人間学(Bridge Humanics)、
英国版“The Human Element in Bridge”、
副題“How to Play People as well as the Cards”」
で発表したのは1949年。
それより前に17の言語で57冊の本で紹介されていたそうです。
また、1992年没というのは当時では驚くほどの長寿であったかと。
参考:WikiProject Contract bridge
(https://en.wikipedia.org/wiki/Easley_Blackwood_Sr.)、
The Official Encyclopedia of Bridge - Biographies(ACBL)。
次のハンドは
ルート(William Root)著、“How to defend a bridge hand”(1994年)から。
何をリードするか?
パートナーは極めて弱い。
どのカードでも良いから、
か
を出せ、と。
以下のディールで説明されています。
か
のリードは、
と
を負けてダウン。
まさか
のバックワード・フィネスはしないだろうと。
スーツと
スーツからのリードは、どれを出してもメイクです。
ウィリアム・ルートはブリッジ教師として世界的に有名な人で、
あまり大会には出ないのですが、プレイヤーとしても有名です。
1995年に春季北米チーム選手権(バンダービルト杯)に71歳で出場、
4人チームで7日間448ボードをプレーして優勝。
試合後の感想は「疲れはしなかった(I never got tired)」だと。
そう言えばアメリカのお爺ちゃんは超元気な人が多いです。