「コントラクト・ブリッジ」の「コントラクト(contract)」ですが。
なぜ『契約』なのだろう?
というのが長年の疑問でした。
当たっているかどうかは判りませんが。
「日本の反知性主義」内田 樹(編集)を読んでいて、感覚的にこれに
近いかな、という記述を発見しました。白井 聡 の文章です。少し長く
引用します。
「日本社会は同調圧力が強い」とは、非常にしばしば指摘されてきた
事柄であるが、一体われわれは何に同調させられるのか。その核心
にあるのは、「敵対性の否認」にほかなるまい。このことは、明治以降
の近代化に始まり、敗戦を契機とする民主化が行なわれても、依然
として日本国家が契約国家(社会契約に基づく国家)になり切って
いないことと関係している。契約は、相互に対等で敵対的な関係を
潜在的に持つ者同士が取り結ぶものである。逆に言えば、潜在的な
敵対性が存在しないのならば、契約は必要がない。
いささか冗長で「永続敗戦論」に見られる歯切れの良さが無いのが
残念ですが。
「契約は、相互に対等で敵対的な関係を潜在的に持つ者同士が取り
結ぶものである。」
なるほど。
「敵」と『契約』を結ぶ、か。
味方なら口約束で足りていますからね。
社会契約論の話とはだいぶずれちゃいましたけど。