NEC杯も今年で20回目。
「イベントプレゼンテーションを考えていかなければ、その競技は発展しない
(卓球協会専務理事 前原正浩)」 そうです。
にしてもイベントを開催しなければ話が進まない。
どのような大会になっても開催回数を伸ばして欲しいものです。
この時期になると思い出すハンドが「7NTダブル」。
ひとつ目は1984年の第2回 EPSON国際ブリッジトーナメント於東京。
セイコーエプソン社がスポンサーとなって開催された国際親善大会。
あの頃は景気が良かった。毎年12月の「服部杯」も元は服部セイコー社
と関係があって。毎年6月の「世界同時大会」はWBF(世界ブリッジ連合)
主催で、長らくフランスのエプソン社がスポンサーをしていました。
第4ラウンド 5番ボード
ディーラーNorth、NSバル
W | N | E | S | |
| 1 | P | 1 | 4 | 4NT | 5 | P | P | DBL | P | 5NT | P | 6 | P | 7 | P | P | 7 | DBL | P | 7NT | P | P | DBL | P | P | P | | | |
|
N:ピーター・ナギィ
S:サミィ・ケヘラ
7
に対するダブルは「7NTを言うな」という意味ですが、
Northは構わず7NT。
ここでWestはライトナーダブルを知らなかったのでダブル。
Eastはライトナーダブルを知っていたので
は出さない。
実際は
をリードしてNS+2490。
Peter Nagyと Sami Kehelaはともにカナダのプレーヤーです。
ナギィは1978年にエリック・コキッシュと組んで世界ペア選手権で2位に。
ケヘラのレギュラーパートナーはエリック・マレー(Eric Murray)です。
もう80歳代ですけど、このペアは「伝説」と言っていいでしょう。
“Canada’s Bridge Warriors: Eric Murray and Sami Kehela”
という本に詳しいです。
ケヘラと言えば葉巻がトレードマークの人で、葉巻を片手にビューグラフの
解説をしている写真が「エンサイクロペディア・オブ・ブリッジ」に載っています。
そう、当時は喫煙可。サイドテーブルには灰皿が置いてありまして。
ゲーム終了後に何十個もの灰皿を洗うのがディレクター助手の仕事でした。
このボード。参加10ヶ国、26チーム(26テーブル)の結果は:
7
x NS+900 12テーブル
6
x NS+700 5テーブル
6
NS+1370 2テーブル
7
NS+2140 2テーブル
この頃はノンバルのダブル付ダウンは 100、300、500、700、900、、、。
現在のスコアになったのは1987年です。
NS側の7
に対してEW側が7
を被せると、安く上がります。
6
に6
を被せて、7
に行かれたときには7
をビッドしてもまだ安い。
以上の21テーブルの結果はふつうですが。
以下は。
7NTx 7ダウン EW+2000 2テーブル
7NT 7メイク NS+2220 1テーブル
7NTx 7メイク NS+2490 2テーブル
この5テーブルでの結果を、同年9月30日のニューヨークタイムズ紙の
ブリッジ記事でアラン・トラスコットが「トワイライトゾーンから現れたスコア」
と書いています。
“Twilight Zone”?
これは米国で1959〜64年にかけて放映されたSFテレビドラマです。
日本でも1960〜61年に「未知の世界」、「ミステリーゾーン」や「ミステリー」
の題で放映されたようです。そののち何度かリメイクされ。
1983年に“Twilight Zone: The Movie”の題で映画化。
1984年に邦題「トワイライトゾーン、超次元の体験」で日本公開。
4話のオムニバスですが、担当した監督が若い頃のスピルバーグ、ダンテ、
ミラー、ランディス となかなかすごく。
個人的にはマンハッタントランスファーの曲の方が馴染みがありますが。
昼と夜の間(あわい)には魑魅魍魎が跋扈するというのは古来我が国にも
ある話で。
アラン・トラスコットが「トワイライトゾーン」という言葉を使ったのは当時の
流行語なのでしょう。
7NTダブルが
リードでセブンダウンが1回。
Northの取る7NTダブルが
リードでメイクが2回。
7NTノンダブルでメイクもありますが、これはWestが順番外に4
オープン。
のちのちNS側はセブンまで、EW側は7
までビッドしたのですが、最終的に
Northが7NTをビッドして。規則によりEastが「
リードの禁止」で14トリック。
JCBL会報では1984年11-12月号に「ニューヨークタイムズから」の記事
で紹介されています。