これはブリッジの話です。
広瀬中佐、旅順港閉塞とくればネタバレでしょうか。
年末に山本夏彦を読み返していたら、広瀬武夫の話が出ていました。
大使館付海軍武官としてロシアに駐在。
『身長五尺八寸(175センチ)、ロシア人に伍して遜色のない東洋の神秘を
たたえた日本男児である。』
ちなみに講道館四段、没後は嘉納治五郎が六段に昇段を認定。
『まことに広瀬は無骨天使である。こんなにされても察しがつかない。一途な
アリアズナのそぶりなら気がついてもよそさそうなのにこれまた察しない。ここが
古い日本男児で妙齢の二美人に心を寄せられているなんて思ってもみない。』
「最後の波の音」
『漱石と同時代の広瀬武夫(慶応四年即ち明治元年生まれ)は日記を漢文で
書いている。プーシキンの詩を漢詩に訳して、別れにのぞんで恋人に贈っている。
これらの漢字の意味はこれこれだとロシア語に訳して間接に衷情を訴えている。
広瀬の漢文の力は漱石には及ばないだろうが、時は明治三十四[一九〇一]年で
ある。当時の陸海軍人は皆広瀬程度の素養がなければ一介の武弁とバカにされた。』
「戦前まっ暗のうそ」
いや、もともとは漢文文語文の話なのですが。
そういえば高村薫の「晴子情歌」。
旧字体と旧仮名遣いに堪えかねて挫折していたのを思い出しました。
広瀬武夫といえば「軍神」、「旅順港閉塞作戦」。
敵艦隊を港に封鎖するために港の入り口に船を沈めると。
それって 「メリーマック・クー(MERRIMAC COUP)」に似ている
と思って調べたら。
どんぴしゃでした。
旅順港閉塞作戦にかかわったのが司馬遼太郎 「坂の上の雲」の主人公の
ひとり、秋山真之。
小説よりもNHKテレビドラマの方が知られているでしょうか。
2009年11月29日~12月27日、2010年12月5~26日、2011年12月
4~25日まで、3年にわたって全13回が放映されました。
旅順港閉塞は1904年からの日露戦争において、大日本帝国海軍が遂行した
ロシア帝国海軍旅順艦隊の海上封鎖作戦です。帝国海軍秋山真之大尉
(最終階級は海軍中将)は1898年の米西(スペイン対アメリカ合衆国)戦争を
観戦武官として視察。サンチャゴ・デ・キューバ海戦に於いて、植民地キューバへ
回航されたスペイン艦隊がサンチャゴ港で合衆国艦隊の封鎖を受けて壊滅した。
このときの秋山真之の報告が日露戦争での旅順港閉塞作戦の礎となったそうです。
主役となったのが給炭船メリーマック(Merrimac)号。333フィート(100メートル強)
の長さで、サンチャゴ港の入り口350フィートを塞ぐのにちょうどの大きさだったと。
もっともサンチャゴ港の封鎖は失敗して、攻撃の要となったのは合衆国陸軍です。
旅順港の封鎖も結局は失敗して、帝国陸軍が旅順攻囲戦でケリをつけました。
蛇足ながら。
ブリッジの Merrimac coupは、Merrimack coupと綴り間違いされることが多い
ようで。これは Merrimac号と Merrimack号の混同から生じているようです。
Merrimack号は南北戦争(1861~1865年)に於ける合衆国(北軍)の軍艦です。
1861年にリンカーン合衆国大統領は大西洋岸からメキシコ湾岸まで、南部海岸線
の海上封鎖を宣言。綿花産業に頼る連合国(南軍)の経済的締め付けを狙いました。
綿花の輸出は10分の1まで減少。海上封鎖は合衆国勝利の要因になったと。
合衆国海軍の「Merrimack号」は、合衆国軍がバージニア州から退却するときに
爆破して沈没させました。連合国軍はこれを引き揚げて装甲艦として改修し、艦名
を「ヴァージニア(Virginia)号」と改め。1862年にハンプトンローズ海戦で合衆国
海軍装甲艦「モニター(Monitor)号」と戦いました。この海戦は史上初の装甲艦同士
の戦いとして有名。決着はつかずに終わりましたが、木造艦に対して装甲艦は有利
であることが明白となり、これ以降の軍艦建造や海戦の戦い方が劇的に変化したと。
ハワイハワイ軍艦、軍艦軍艦沈没・・・
長い余談でした。
続きは記事
メリーマック・クーへ。